国内のアマチュア無線機の歴史について

かつてはキンブオブホビーとまで言われたアマチュア無線ですが、その始まりのきっかけというのはご存知ですか?
イギリスの電磁誘導の発見や、モールス信号といった世界的に有名な伝達の歴史は一般的にも認知されていると思いますが、日本での活躍というとよほどベテランの無線ファンの方でないとあまりピンとこないと思います。
国内ではおよそ1896年から無線の研究が開始され、翌年には実際に通信を行うことに成功。
そしてその3年後には軍用の通信機を開発し、稼動するまでにいたっています。
大正時代に入ってからは電波法が作られ、海外への送受信の成功など目まぐるしい進化を遂げていきます。

記念すべき最初の無線の免許はアマチュアという名ではなく短波局という形で昭和2年のときに二名の志願者へ交付がされました。いずれも個人としてではなく探知機の開発や仕事のための目的で取得されたと言われており、アマチュアという意味では最初ではないという声もあるようです。世間的にアマチュア無線が認知されるようになったのはJARLが設立された1926年の翌年からになります。これによってはれて無線機を個人で使い通信を楽しめる段階となりました。
しかし、世界大戦が始まったことにより、まもなく個人的な電波の送信は全面的に禁止になり、また無線免許を持っていた若いものは通信部隊として従事するといったケースもあったようです。

アマチュア無線の復活

戦後まもなくは個人での電波の使用は許可されていませんでしたが、有志が募り再度使えるように働きかけましたが、実際に使えるようになったのは52年ごろまで待つ結果となりました。
その後、1966年には今では懐かしい呼び名の電話級という資格が用意され、本当に誰もが無線を楽しめる時代になりました。

現代のインターネットの変わりともいえる機器ですので、日本全国で瞬く間に大ブームとなり
ついにはアメリカの無線局の数を超えるにまでにポピュラー化したのですが、ネット環境が登場した1990年からは毎年その数は減少傾向になっており、今では全盛期時代の半分以下にまで閉局が続いている状況となっています。

この流れを受けて無線の業界もかなり寂れつつあり、かつて民生用の製品を専門に作っていたメーカーは次々に解散をしています。