皆様からお寄せいただいたアマチュア無線の思い出

こちらのページではいつも当店をご利用いただいているお客様に
アマチュア無線にまつわるエピソードをインタビューし、掲載許可をいただいた内容をご紹介しております。
買取業務だけでなく、こういった面白い逸話などについてのご連絡も大歓迎となっておりますので
皆さんの思い出話をお聞かせください。

Oさんのエピソード

私は中学生のころ九州の宮崎に住んでいていた。
そして、よく航空無線をきいていた。
宮崎空港は私の住む場所からわずか20kmたらずのところにあり、宮崎には高い建物がないので管制塔からの電波が二階にある私の部屋にも届いていたようだ。
それでも、短いアンテナでは感度が悪く雑音が酷いので、壊れ たラジオの長いアンテナに銅線を巻き付けて父からかりたアマチュア無線機につなげて航空無線をきいていた。
言わばオリジナルのハンディー機といったところ だろうか。
周波数は118.3。忘れもしない。
父が私にかしてくれた無線機を私はまるで自分のものであるかのように毎日私の机の上に会った。
電波の善し悪 しはほんのわずかなアンテナのぶれや角度で変わってくる。いろいろと考えあぐねたすえに、私は無線機をドアにテープではりつけることにした。
そうすると、 感度が安定するのだ。ハンディー機からきこえるパイロットの肉声。
パイロットになりたかった私は、無線機からながれてくる「cleared for take off」のコールにいつも歓喜していた。
故郷宮崎にすんで運十年である。まだまだ中学生だから地元に退屈することはないだろうと思われるかもしれないがそんなことはない。
実際に、中学生の私は退屈していた。
飛行機にはどこか夢があった。
大空を羽ばたいた飛行機は大都会・東京に向かって高度をぐんぐん上げ、新幹線よりも二倍も速い速度で宮崎を離れていく・・・。そう考えるだけで中学生の私の心は一瞬の喜びにひたっていた。
時には、父から貸してもらった周波数帳を机の上にひろげてペラペラとめくりANAやJALのカンパニー無線をひろおうと懸命に努力した。二回の勉強部屋からみえる宮崎の空はきょうも真っ 青で快晴だった。
机の上に置かれた教科書はさみしそうだ。ANAのカンパニー無線の周波数に合わせていたところ突然日本語が聴こえてきた「オールニッポ ン・・・ただいま高度一万九千・・・エンルート・・・ おつかれさまです」とぎれとぎれであったが、日本語でのやりとりがとても新鮮だったのを覚えている。
便名を調べると石垣島へ向かう便だった。
石垣島に向かう便の交信をきけたことがもう夢のようで、宮崎から遥か遠くに浮かぶ熱帯の島、まだみぬ石垣島を 頭に思い浮かべてはなんともいえない感慨の気持ちにひたっていたものだ。
やはりうれしいのだ。そして、大学生になった私はハンディー機の無線機を買い航空 無線用の短いアンテナをつけて管制塔からの電波を拾おうと懸命になる。
11階なのだから電波をキャッチしやすいはずだ。しかし、なかなか聴こえない。タ ワー無線をきくことはできない。それも、私はあの頃夢に描いていた東京に今住んでいるからだ。
高いビルが果てしなく続く。今は消防無線を良くきいている。
いつデジタル化されるのだろうか。
その日まで私は消防無線をきくだろう。
私の無線機への愛着は、中学生の頃にきいた突き抜けるような青いそらに浮かぶ飛行機に思いを託してきいた無線にあるのだろう。
たまに、彼女を連れて空港へ行き無線機を取り出してきかせてやるのだ。彼女は無線機のことは全く知らない。
パ イロットの会話がきけることの喜びも知らない。きけることすら知らない。彼女も興味を持ってくれたらいいのになと思うのだが。